女子会@ナパ

Post-335この日はお日柄もよくナパは40度を越えました。
絶対日本の夏には帰省しないと心に誓った日でした。


まずは誰もが知っているロバート・モンダヴィワイナリーへ行こうと提案したら
大学にてワインのクラスを取った女子がのたもうた。
「モンダヴィワイナリーなんて観光客が行くとこですやん。」
それではいかほどモンダヴィワインをお飲みになったのかしらん?

「すみません、行ったことも飲んだこともありましぇん。」
ワイン通を自称する人ほどこのワイナリーを訪れる率が低いようで。

こういう輩にかぎってロバート・モンダヴィ氏の偉大さや
ナパのワインを世界に広めたソノモノをわかっていないのです。

モンダヴィを行かずしてナパでワインのうんちくを語ってはいけません。

と、ワイナリーめぐりをするその前にこの女子がナパのダウンタウンで買いたいモノがあるとか。
こちらはナパで一押しのパン屋さんBuchon。
すでに店の外には行列が。






お薦めはエピと呼ばれるフランスパン系、
そしてスイーツではエクレアやマカロンが有名。







お隣にはフレンチレストランもあり
エピが食べ放題です。
パン屋さんに負けず劣らずの人気店ですので予約はマスト。







車中でエクレアを貪り食って納得した女子を連れて
いざ、モンダヴィワイナリーへ。

こちらのワイナリーは先程の女子が言ったように
ワインのことはあまり知らないけれど観光名所と
してやって来ました、というような観光客のためのツアーや
テイスティングルームと
ロバートモンダヴィを愛してやまない(私のこと)
という方向けのリザーブルームの二つがあります。
私が強ーくお薦めするのは後者のリザーブルームにての
テイスティングでございます。

実は昨年のカリフォルニアカベルネ・ソヴィニョン協会のイベントにて
いただいた2006年モノ。
あまりのおいしさに
何でも値段を聞く中国人のように思わず
「これなんぼ?」と聞いてしまいました。
なんと180ドルでございました。
「やっぱり高いワインはおいしいなー。」
値段を聞いてから高かったら褒め、安かったらけなすのはおっちゃんの
いつものことですが。
願いをこめて言ってみました。
「このワインが毎日飲める日が近いうちに来るようにお仕事がんばってね。」と。
すると
「無理やなー、盆と正月くらいなら買ーてやれるけど。」
もうアキラメました、このおっさんには。
というわけでせめてナパに行ったときは必ずリザーブルームにて
このワインをいただこうと思った次第です。


さて、ロバート・モンダヴィワイナリーに到着です。
こちら正面玄関の像がロバート・モンダヴィ氏です。(うそです)






入り口を入ってすぐに一般のテイスティングルームがあり
その奥がリザーブルームです。(予約不要)







こちらは訪れる人も多くなくゆったり座ってワインを楽しむことができます。





料金は赤・白どちらからも4種類選んで30ドルです。(年によって変わりますが14~15種類)




次回は映画の一シーンに出てきたワイナリーでございます。

ハーイ!サザエでございます!!の母です。

すっかりご無沙汰しております。
今夏、サザエさんのお母さんフネさんと
同い年になりました。
昭和20年初頭には女性の平均寿命は53歳強でありました。

20代草食男子より体力、気力とも負けない自信が
あったのですがそーでもないことがわかりました。
首の関節炎から腕の神経痛になりそれはそれは痛くって
キーボードなんか打てませんでした。
お世話になっているフィジカルセラピストからは
「年齢的に骨の老化からです。52歳ってそんなもんじゃねーの。」
と言われ自分はフネさんなんだと自覚し、これからの人生を謙虚に
歩んでいきたいと思う次第でございます。

さて、今年は梅雨も明けないうちから高温多湿で
その上、節電を強いられている日本の皆様、
サンフランシスコはエエ季節です。
気温は20度前後、体感湿度はほぼゼロ。
2週間前に封を切り
そのまんまのクッキーはパリパリサクッ!!
フネさん的にはお肌には乾燥し過ぎですが。
お疲れ気味の日本の皆様、
おいでやす、サンフランシスコへ!!
円高のせいでしょうか、日本からの観光客は例年より
とっても多いと波平さん、いえおっちゃんが言っております。

そうそう、お隣のナパもいい感じ。
ちょっと前にカリフォルニアカベルネソヴィニョン協会の
2010年樽出しテイスティングがありました。
まだまだ若いですが2~3年後には期待できそうです。
そして女子会@ナパをやりました。(神経痛でもしっかり飲みまっせ)
今回はナパが初めての女子が一緒なので
ベタなナパワイナリーめぐりをしてみたいと思います。
ナパレポートをお楽しみに。


我祖国、 日本を誇りに想う

ここ数日、どんな言葉で震災に遭われた方々にお見舞いを
申し上げるのがよいのか悩みました。

昨夏に留学を終えて帰ったアルバイトのSちゃんの実家は正にあの
津波の中にのみこまれました。
メールの返事がないのはライフラインがないから、 だけど大丈夫と
自分に言い聞かせています。

何か元気の出る言葉も考えましたが思いつきません。

けれど伝えたい事があります。
国連からのメッセージです。
「これまで日本はいろいろな国へ支援をしてきた。
今回は国連が全面的に支援する。」

こちらサンフランシスコでもどれだけ多くの人々に日本を思いやる言葉をかけていただいたことか。

Sちゃん、被災地の皆さん、
がんばらなくていいです、世界中ががんばってくれます。

春です!おいでやすサンフランシスコへ

こんにちは、「サンフランシスコの知恵袋」のツマでございます。
いつも夫がお世話になっております。

ここ数週間、日本からの観光客がとても多いそうです。
卒業旅行の学生たちに限らずシニアの方々やご家族連れも
負けないくらいの数だそうで なぜ、この時期に?と
「サンフランシスコの知恵袋」は首を傾げています。

さて、今日は
「ビザ免除プログラムにおいて米国から出国するチケットがないと入ることもできません」
というお話。
ある日本からのバックパッカーがアメリカから陸路を利用して南米までの
旅行を計画、サンフランシスコにて入国審査を受けました。
彼の旅行の最終地は南米なので帰りのチケットは持っていませんでした。
そこで別室にお呼ばれ。
「この場で米国から90日以内に出国する日付のエアーのチケットを購入するか。」
あるいは
「いますぐ日本へ帰るか。」
の選択を迫られたそう。
彼は泣く泣くチケットを買ったそう。
どれだけ綿密に立てた計画であって90日以内にアメリカを出国する意思があっても
アメリカから出国する航空券がないと移民局は入国を認めてくれないというお話でした。

最近数少なくなってきている若者のバックパッカー、応援したいですが
くれぐれもアメリカの入国基準に従って計画を立ててください。

いよいよ春の到来ですね。
今朝もちょっと冷え込みましたがなんとなく冬と違う
空気のニオイ、そして鳥の鳴き声も春めいたさえずりに聞こえました。

それでは今日のお別れは「サンフランシスコに行きてェー」と
思わせる動画です。
やっぱこの方の声を聞くと旅行に行きたくなるわー。





シリコンバレーってどこよ?

Post-327スクリーンの前のみんな、元気かな?
今日はおじいさんの知恵袋いえ、サンフランシスコの
知恵袋と自称しているおっちゃんによく来る質問に
答えてみたいと思います。

それは「シリコンバレーに行きたいのですが。」
という質問。
特に日本でIT関係のお仕事をされている方の
行きたい観光名所ナンバーワンのようで。

けどね、シリコンバレーっていう場所はございません。
ムーミン谷に行けばムーミン一家やスナフキン、ミイに
会えるのと同じ感覚で考えておられるようですが
それはそれはとてつもない広範囲を指しています。

どのくらい広いかって?
それではみんなもよく知っているチョー有名なところ2箇所へ行って検証してまいりました。
もちろん車は必須、じゃないと西部劇時代と同じくらい時間がかかります。

まずはサンフランシスコの空港の横を走る101号線を南下します。
左手に見えますのはサンフランシスコ国際空港が本拠地のユナイテッド航空の
昔からある本社ビル。





サンフランシスコダウンタウンより約60km、50分で到着したのは
マウンテンビュー。こちらにありますのは、




この辺一帯は行けども行けどもこのマークのビルばっかり。


グーグルからは約9km、10分でやってきた所はサニーベール。





そしてこちらはヤフーから歩いていける距離かも。




というわけでシリコンバレーと呼ばれる一帯はサニーベール、サンタクララ、マウンテンビューの
3市に渡って
点在しているので観光名所的なイメージとはチトかけ離れています。
そして、お目当ての企業があっても関係者以外立ち入り禁止でセキュリティは非常に
厳しいらしいです。
ちなみに「ヤフーメールのアカウント持ってます。」では関係者とは言えませんのであしからず。

草食系男子 存在せず

Post-325慎重170cm体重48kgの虚弱脱力系男子が言いました。
「草食系男子なんていうネーミングをつけたのは もてない女子です。
気のない女子には草食系を装い好きな女の子にはもちろん肉食系でいきます。」

そうだったのね。
スクリーンの前の女子たちよ、
あなたの好きな男子をよーく観察したほうがいいよ。

遅くなりましたが今年のバレンタインのアドバイスでした。

花のサンフランシスコ

Post-323 :emojinote_eight: 梅は咲いたか桜はまだかいなー。 :emojinote_eight:  
 
全部咲いちゃいました。
エルニーニョのおかげで今冬はとても
暖かく過ごせるサンフランシスコです。
朝晩はちょっと冷えますがそれでも10℃前後、
日中は20℃以上になる日が多くって
おかげで風邪やインフルエンザ知らず。

それで一足早い「春」をテーマに写真を撮ってみました。









自分で言うのもなんですがカメラマンとして才能あるなあと思います。
自己主張しすぎのアメリカのバカでかいユリの花とアイデンティティのない
おっちゃんの相反した構図がなんともすばらしい!!



というわけで今週はこの辺で、
60年代にヒットしたこの曲でお別れです。

告白 つづき

Post-321さて、ピアノで先生と私にしごかれた娘は大学進学を
考えなければいけない時期になりました。
自分の意思ではなく物心がついたときから
しっかり音楽教育が人生に組み込まれていたことを
常に嘆いていた娘は大学ではピアノをやらないことを宣言しました。

けれどそれはしばらくして撤回されました。
ピアノ一筋でやってきた彼女には他に得意な教科もなく
自身が特別勉強をしたい専攻やなりたい職業がなかったのです。
それよりも今までのピアノの功績は数々の奨学金やほぼフリーパスで
大学に入れるといったメリットが大きいことを
学校のカウンセラーより知ることとなりました。
やっぱりピアノしか自分にはないと悟った娘は音大へと進みました。

そして娘のピアノ人生は大学卒業のための演奏会を最後に
終わりました。
私に対する精一杯の抵抗でしょうか、
その日をもってまったくピアノに触れることはありませんでした。

ここからは私の思いとザンゲであります。
後悔している事はなぜ、娘を褒めてやらなかったか。
の一言に尽きます。

アメリカ人は感心するほど褒めるのが上手。
あの手法で娘に指導していたなら
もしかして今頃彼女は優秀なピアノ教師になっていたかもと
思うと残念でさびしくなります。

娘に本人の意思に関係なくピアノを強制させたことに
後悔はないか?とお思いの方もいらっしゃるでしょうが
それに対しては一切の悔いはありません。
何かを成し遂げるには努力、習得のための長い時間、忍耐とエネルギーと
経済力の全てが必要ということを教えたかったのです。


エイミーさんの著書にはその教育に反対するコメントが
多くあると聞きましたが彼女の気持ちも理解できます。
エール大の教授になるには単に頭がよいだけでは到底無理です。
ポストを狙って多くの似たような学歴、経歴を持つ人々を押しのけて
強靭な精神力と体力を持たなければやっていけません。
将来、優秀な両親を持つエイミーさんのお嬢さんたちが
自分と同じ立場になることを予想しているのでしょう。

冒頭の著書「告白」も主人公は男の子たちでしたが
母親との関係が事件の原因のようでした。
どれもこれも子供のためによかれ と思う教育は思惑どおりにはいきませんね。
アジアの教育ママでもハワイの自然派放任主義ママでも共通するのは
子供を愛しているからこそという思い、あるいは思い違いなのでしょうか。

最後に私の憧れだったEちゃん。
一人っ子で偏差値が高いお嬢様学校に通い、
ピアノが上手でレッスンにはいつも可愛いお洋服を
着ていた彼女は受験に失敗をした翌年、
スキー場で心臓発作で亡くなりました。
そのことを聞いたのはつい最近のことなのですが
彼女が弾いていたベートーベンソナタが
30年以上も経った今でも不思議に思い出されます。

告白

お題は湊かなえ女史の著書からパクりました。

ここ数週間全米の子供を持つママたちの間でそして
アメリカ在住の日本人ブロガーの皆さんの多くも
話題にされているのは下記の記事でございます。


教育中国の母の恐るべきスパルタ


これには7千以上のコメント、その上殺人予告までエスカレートするような
騒ぎとなっております。

ここで私の告白、実は私ってエイミーさんに近い母だったのです。

娘が生まれたとき考えたことが二つありました。
ひとつ目は自分が母に言われていやだったことはしない。

3人兄弟の長女として生まれた私は常に母から
「おねえちゃんなんだから。」
といわれ続けました。
おかげで責任感は人一倍強くなりましたが。

小学校のときはずっと図書委員でした。
町金の取立屋のごとく
図書館で借りた本を返さない生徒に
執拗に返却をもとめたものです。
おかげで返却率100%の私の実績に先生方が
何がなんでもおまえがずっと図書委員だと
うれしくもない任命をされいっそう責任感を感じて
しんどかったです。
そして引き寄せの逆の法則があるという実証。
無責任党の代表のような伴侶を見つけてしまうことに。
娘にはおねえちゃんを自覚させるような育て方を
しなかった上に父親のDNAをしっかり受け継いだせいでしょうか
無責任党主をしのぐええかげん人間になってしまいました。
おかげで人生ずっと私が責任感をしょいながら
生きていくこととなったという結末です。トホホ。


さて、メインのお話であるのは二つ目でして
私はこの中国人ママに負けず劣らずの音楽教育に熱心な母親でした。
度を越した熱心さは私自身の育った環境からでした。
小さい頃からピアノが大好きで上手、上手と周りから言われ(両親を始めとする
親戚だけなんですが)高校生になって進路を音大に決めました。
町のピアノ教室から受験のための音大の先生へと移ったのは高校1年生のときでした。
それはびっくりするほどの厳しいレッスンで春の陽だまりから極寒の北極へ連れて行かれた
ほどのショックを受けました。
たとえば弾けない箇所の楽譜をビリビリニ破かれたり椅子から突き落とされたりで
今なら確実に虐待ピアノ教師として新聞を賑せていたことでしょう。
同じく音大を目指していた友人たちも先生にビンタをくらったり
ボケ、カス、クズなんて毎度のレッスンで罵られたりを聞いていたので
音大の先生ってそーいうもんだと思っていました。
親にほめられて育つと他人の厳しさはかなりキツイ、を学んだ私。
娘が生まれたとき自分が受けた温度差のショックを味あわせないためには
私が厳しく指導しようと思いました。
この点については間違いなかったようで娘は
かなり厳しいといわれている教授に指導を受けても
「ママより優しい先生。」と のたまってました。

そしてもうひとつ私が影響を受けたのは同じピアノ教室の門下生だった
Eちゃんの存在でした。
やはり同じくして音大を目指していた
彼女は高校1年生のときにすでに
いつでも受験できるだけの準備が整っていたのです。
なぜなら彼女のお母さんはピアノの先生でEちゃんは幼い頃から
音楽全般の早期教育を受けていたのでした。
絶対音感はなく聴音や理論の勉強に四苦八苦していた私は
Eちゃんは近道、私は遠回りと感じたものでした。
自分の子供には是が非でも早期教育をと強く思った一因でした。



娘が幼い頃に後押しする要因もありました。
大学の恩師は絶対音感をつけるために4歳の誕生日から音感教育を始めることや
本人のやる気なんかを待っていたらいつまでたっても習得できない、
つらい思いをしなければそこそこモノにできない、などと言われました。
レッスンデビューの日にかなり厳しく指導されまだ言葉もおぼつかない娘は
おもいっきり泣いていました。
こんな幼い子供に泣かせてまでやることなのかと一瞬考えましたが
この子の将来には絶対ためになると迷う気持ちを打ち消しました。
そして私は自分の経験も含めて娘の音楽教育に一層力を注ぎました。
エイミーさんに限りなく近づいたのは娘が高校生になったときです。
コンクールでは常に多数の受賞者を出す先生の門下生になりました。
このピアノ教室にはまさにエイミーさんのような中国人ママたちの集まりでした。
子供たちはピアニストになれるほど才能を持ちながらその道へは進まずに
アイビーリーグの大学へUSプレジデントスカラシップなどのアメリカでもトップクラスの
奨学金をもらい弁護士、ドクターなどを目指し進学していくのでした。
このピアノ教室ではコンクールがないときは1日3-4時間の練習、
コンクールの数週間前には5-8時間の練習は当たり前でした。
そしてコンクールの2-3日前になるとこの教室は真夜中まで開放され
先生も缶詰状態でした。
もちろんチャイニーズママたちは付きっ切りで休憩の合間には
間を入れずに宿題や読書をさせるといった徹底ぶりでした。
私も負けてはならんと付きっ切りの指導をしました。
泣きながらも耐えた娘は振り返って思い出せば
ピアニストとして最高の時期だったなあ。


とっても長文になってしまいました。
この頃の事を思い出すととめどなく記憶がよみがえってきまして。
つづきは日を改めて書きたいと思います。

Bonne Année !!

Post-316遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
すっかりご無沙汰しておりました。
コメントをくださった方々、忙しさに託けてお返事も書かずにごめんなさい。



おっちゃんも元気にクリスマスにやって来ました。




さて、そろそろサンフランシスコに戻ってブログを再開したいと
思います。
今年もよろしくお願いします。