あっという間にアメリカ企業に売り渡された
アパートやショッピングモール。
私たちは職を失い、ただのアパートのテナントになりました。

楽しく夢のような生活はたったの3ヶ月でした。
これから本格的に始まるはずだったアメリカ生活、
何もかも失ったような気分になりました。
ショックが大きく悲しみや不安といった感情もなく
ただ毎日、海を眺めて日々を過ごしていました。

なにをどうしてよいかわからないまま
時間が過ぎ年末になりました。
私の両親が孫に会いたいのと様子を見にマウイにやって来ました。
ハワイ移住を強く反対した父に「やっぱり。」と言われるのが
くやしくて「夫は新しい仕事をみつけ上手くやっている。」と言いました。
実際、夫はアパートのガーデナーの下で見習いのような事をして
日々、働いていました。

年が明けて日本より1日遅れの元旦にNHK紅白歌合戦を
夕食を囲みながら観ていました。
キッチンにたった時、喜納昌吉のしゃがれ声が聞こえてきました。
歌は『花  すべての人の心に花を』でした。

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今まで抑えていた感情の扉が開き、とどめなく涙が溢れてきました。
両親に聞かれまいと蛇口を全開し声を殺して泣きました。

なんの為に私ははるばる日本からやってきたの?
つらく悲しい体験がしたくてハワイに住んでるの?
私の夢はなんだったの?
私の大好きだったアメリカはどこにあるの?
泣きながら私は自分自身に尋ねました。

「あなたも花を咲かそうと思ってハワイにきたんでしょう?」
テレビからそう語りかけてくれているように感じました。
そうよ、泣いてわらってどんな花になるかわからないけれど
ここでがんばってみよう。
歌が終わるころ私はそう決心していました。