ひとすじの希望になるアイデアはスーパーで
日々の献立に悩んでいるときに浮かびました。

家庭での食事は日本で作っていたものと同じように
和食中心の食生活にしたいのに
ここマウイのスーパーではあまりにも食材が乏しく
何度も野菜売り場をウロウロしていました。
このとき、気がつきました。
いかに日本料理というのは
野菜が豊富で四季折々を感じさせる献立が多いかと。

『マウイで日本の野菜を作れないだろうか。そして私のように
旬の野菜を求めている人のためにビジネスとして農業はできないものか。』

こんな突拍子もなく無謀な話に夫はてっきり反対するかと思っていましたが
意外にも「いいかも。」と。
もう八方塞がりの私たちに何でもいいからやってみようと思ったのかもしれません。

ハレアカラ山のふもとのクラは農業、酪農が盛んな土地でした。
日本人一世の人々が苦労して土地を開拓して
今は2,3世の人々が中心となって農業を営んでいました。
ポルトガルから移民して来た人々は牛、馬を扱うの長けていました。
彼らの家畜たちがどこまでもつづくなだらかな牧草地帯で
のんびり草を食べている風景を見ていると
ここに住んで農業をやりたいという気持ちがもっと強くなってきました。

やはり父は猛反対でした。
「庭の雑草も抜いたことがないのに出来るわけがない。」でした。
土地を探してもらった不動産屋も
「えーっ!お勧めできないよ。」と否定的。
唯一母だけは
「一生懸命がんばってダメだったらやめればいい。」
と背中を押してくれました。
標高700m、3000坪の雑木林が私たちの新しいスタートになりました。