アメリカ移住物語(5)

サンフランシスコは相変わらず美しく品のよい町並みが続いていました。
子供たちに私たちの思い出の場所をあちこちと連れて行きました。
いかに私がサンフランシスコに魅了されているか、そして
パパとママがステキな時間を過ごしたかを
話しているうちにいろいろな記憶がよみがえってきました。
ダウンタウンのMacy’sのデパートで大ケンカをしたこと、
離れ離れになる前夜にフィッシャーマンズウァーフの
レストランで大泣きしたことなどを。


夫の友人たちの多くはまだベイエリアに住んでいました。
大学や大学院にいる人や企業からビザのサポートを受け
働いている人々などでした。
友人たちとの昔話に花を咲かせ、もうここにはいない友人の
近況を聞いているうちに一人の友人がハワイで活躍していることを
知りました。
この旅行の最後にハワイに行くことになっていた私たちは
彼を訪ねることにしました。

アメリカ移住物語(4)

あまーい新婚生活は1年も続きませんでした。
ハネムーンベビーだった娘に二人は振り回され
そして翌年には息子も年子で生まれ、結婚2周年には
親子4人になっていました。


子供たちが二人揃って幼稚園に通うようになった頃、
私の弟が結婚することになりました。
彼らの希望はハワイでの挙式。
私はアメリカ西海岸へ新婚旅行に行くことを
強く勧めました。
私の説得のかいあって
サンフランシスコ→ロサンジェルス→ラスベガスそして
ハワイで挙式を決めました。
面倒見のよい姉を装って新婚旅行に親子4人は
ついて行ってあげることにしました。


5年ぶりに訪れるサンフランシスコ。
飛行機の窓から見えたゴールデンゲートブリッジは
たくましく、霧をまとって美しく、変わることなくそこにありました。
サンフランシスコが恋しかった私には
たまらないお迎えでした。

アメリカ移住物語(3)

日本へ帰国した彼を意外にお父さんは
あっさり赦しました。
私は寺内貫太郎の父を思い浮かべ
西城秀樹のようにぶっとばされ縁側から庭へ
転げ落ちるところを想像していたのに。


年2回から週1回のデートに。
私の家にも連れてきました。
母は初対面の後、
「あの子、ドラッグやってない?顔色は悪いし、目つきもおかしい。」
青白いのは生まれつき、目が悪いしボーっとしているのは性格なんです。
叔母も
「ああいう華奢なのは男じゃないよ。まゆちゃんにはプロレスラーみたいな
体格のが合っているわよ。」
余計なお世話。あまり評判よくなかったみたい。


彼の家族といえば付き合っている女の子がいるとわかると
早々に両親揃って我が家にご挨拶に見えてびっくり。


それから数ヵ月後。
彼「オヤジがゆくゆくは結婚を考えているんやったら はよしてしまいって言われたわ。」
彼の口からそれまで一度も結婚という言葉を聞いたことがなかったのに
考えてくれていて、お父さんに話していたなんて!!
この時、私は恋愛ドラマのラストシーンの主人公になったような気分でした。


ちょっと早いんじゃないと私の家族は心配しましたが
何はともあれ両家は私たちに盛大な結婚式を挙げさせてくれました。
新婚旅行はもちろんアメリカ。
サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ラスベガスそしてハワイと
思い出の地をめぐり新婚生活は始まりました。





余談ですが結婚式の日に気がついたのですが
プロポーズの言葉ってなかったんです。
彼は私が「将来どーすんのよ?」って迫ったから
結婚しようと言ったと作り話をします。
絶対言ってません。

アメリカ移住物語(2)

Post-54遠距離恋愛はつづきました。
会えるのは1年に2回だけ。
夏休みに彼が日本へ帰って来て、冬休みは私がサンフランシスコに行ったり、
ハワイで会ったりと。
3年近く経った頃、二人でリノにスキーに行きました。
リノはサンフランシスコから車で3時間くらいの所にありますが
ここはネバダ州、ラスベガスに比べるとかなり小さい規模ながら
どのホテルもギャンブル施設は充実しています。


勝ったことがないクセにルーレットやスロットマシーンを見ると夢中になる彼。
この日もご機嫌で楽しんでいた彼が突然言いました。
「オレ、やっぱり大学やめて日本へ帰るは。
そやからもうここに来るのも今日が最後やから心残りせーへんように遊ぶわ。」
そういえばここ数日これから将来の事への不安やアメリカ生活が
あまり好きじゃないということを言ってました。

彼「後期の授業料送金してもらったばっかりやから それで遊ぼ!」
私「えーっ!お父さんになんて言うの?」
彼からお父さんはとても怖い、雷おやじだと聞いていました。
子供の頃、勉強をしない彼の机を2階から外へ放り投げた
エピソードを思い出して関係のない私のほうが怖くなってきました。


やっぱりギャンブル運のない彼は半年分の授業料のほぼ大半を
リノの町に落としていきました。
当時、1ドル270-280円の時代で、
日本で何もせずに1年は暮らしていける金額でした。


彼が大学をやめる事は私の心に引っかかり、口では彼を咎めては
いたけれど本当はうれしさでいっぱいでした。
これからは会いたいときに会え、話したいときには時差を考えないで
電話ができる!
私にとって長い長い、遠距離恋愛は終わりました。




授業料の一部で買ってもらった指輪、お義父さん、ごめんなさい。

アメリカ移住物語(1)

28年前の3月、
初めての海外そして語学留学のためサンフランシスコにやって来ました。
どうしてサンフランシスコに行こうと決めたの?と聞かれますが
特別な思い入れがあったわけではありませんでした。
強いていえば実家のお手洗いの壁にアメリカの地図が貼ってあり
座った私の目線にサンフランシスコがいつもあったように思います。


楽しい学生生活が始まった頃、
ひとつ年下の男の子と知り合いました。
彼と一緒にいると弟と遊んでいるような気持ちで
気がつくといつもそばにいました。


3ヶ月のアメリカ生活はあっという間に過ぎ
私は日本へ帰ることになりました。

もう彼に会えないかもしれない、そして楽しかったサンフランシスコでの出来事を
思い出すと泣けて、泣けて帰国後してしばらくは毎朝、目が開けられないほどの
ヒドイ顔でした。

ファクスもインターネットもない時代、
毎日彼に手紙を書きました。
多いときには1日5通。
しまいには書くことがなくなり
「今週はアフガニスタンへ行ってきました。」
とウソを書く始末でした。(旧ソ連がアフガニスタンを侵入した年でした。)



彼+サンフランシスコ  このコンビネーションでいつも頭の中がいっぱいの私は
1.彼と結婚する。
2.そして女の子と男の子を産む。
3.サンフランシスコに住む。

これをマイドリームと心に決めたのでした。