アメリカ移住物語(3)

日本へ帰国した彼を意外にお父さんは
あっさり赦しました。
私は寺内貫太郎の父を思い浮かべ
西城秀樹のようにぶっとばされ縁側から庭へ
転げ落ちるところを想像していたのに。


年2回から週1回のデートに。
私の家にも連れてきました。
母は初対面の後、
「あの子、ドラッグやってない?顔色は悪いし、目つきもおかしい。」
青白いのは生まれつき、目が悪いしボーっとしているのは性格なんです。
叔母も
「ああいう華奢なのは男じゃないよ。まゆちゃんにはプロレスラーみたいな
体格のが合っているわよ。」
余計なお世話。あまり評判よくなかったみたい。


彼の家族といえば付き合っている女の子がいるとわかると
早々に両親揃って我が家にご挨拶に見えてびっくり。


それから数ヵ月後。
彼「オヤジがゆくゆくは結婚を考えているんやったら はよしてしまいって言われたわ。」
彼の口からそれまで一度も結婚という言葉を聞いたことがなかったのに
考えてくれていて、お父さんに話していたなんて!!
この時、私は恋愛ドラマのラストシーンの主人公になったような気分でした。


ちょっと早いんじゃないと私の家族は心配しましたが
何はともあれ両家は私たちに盛大な結婚式を挙げさせてくれました。
新婚旅行はもちろんアメリカ。
サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ラスベガスそしてハワイと
思い出の地をめぐり新婚生活は始まりました。





余談ですが結婚式の日に気がついたのですが
プロポーズの言葉ってなかったんです。
彼は私が「将来どーすんのよ?」って迫ったから
結婚しようと言ったと作り話をします。
絶対言ってません。

夫婦ゲンカ

Post-58「夫婦の日」は2月2日。
ウチの家では今日は夫婦ゲンカの日でした。


ここ1-2年サンフランシスコでは夫婦ゲンカからDV(ドメスティックバイオレンス)で
逮捕される日本人が多くなってきています。
日本とアメリカの夫婦ゲンカの捉え方の違いがあります。
大声で口論しているとアメリカ人は必ずと言ってよいほど
警察に通報します。
ちょっとつついたり、腕をつかんだりしてもアメリカ人は暴力ととらえます。
アメリカ人、夫あるいは妻からの通報も多いと聞きます。
警察官がやってくるとその後の犯罪を未然に防ぐという観点から
ほとんどの場合、一方を拘束します。
短期、長期にかかわらずビザの場合、日本へ逃げる可能性が高いので
なんと保釈金は25000ドルから50000ドル!!
お金を払えて釈放されたとしても裁判が待っています。
たかが夫婦ゲンカって言ってられません。

私も日本に行ったとき、夫にムカついた事があったんですが
年なのでここで夫婦ゲンカにエネルギーを使ったら
後がしんどいとやめました。


みなさんもアメリカ旅行の際、もし段取りや手際の悪い夫でも
ぐっとこらえて観光やショッピングなどで発散させてくださいね。


やっぱり夫婦ゲンカは犬も召し上がりませんでした。

サンフランシスコの物価(1)

Post-57サンフランシスコは住みにくいといわれてますが
それではどのくらい物価が高いのでしょうか?
皆さんの住んでいる地域と比較してみてくださいね。
今日はいつも行く八百屋さん編



オーガニックりんご2つで1ポンドくらい。





  
春ですねー、ストロベリーにブラックベリーそしてラズベリー。




問題の国からの野菜
でもこのしょうが繊維がなくて香り、味も抜群なんですが。





ピーマン、今日は赤がセール




これもオーガニックのにんじん、葉は天ぷらにした後、おつゆにひたひたして。
1束、細いのが5本で1.5ポンドくらいでした。




チャイニーズセロリと書かれていますが細くてやわらかくて新セロリとでもいいましょうか。
この束で99セントでした。




イタリア料理に欠かせないハーブたち。どれでも1束99セントなり。




日本の桃太郎には負けますが私の一番のお気に入りトマト1ポンド2.99ドルです。

アメリカ移住物語(2)

Post-54遠距離恋愛はつづきました。
会えるのは1年に2回だけ。
夏休みに彼が日本へ帰って来て、冬休みは私がサンフランシスコに行ったり、
ハワイで会ったりと。
3年近く経った頃、二人でリノにスキーに行きました。
リノはサンフランシスコから車で3時間くらいの所にありますが
ここはネバダ州、ラスベガスに比べるとかなり小さい規模ながら
どのホテルもギャンブル施設は充実しています。


勝ったことがないクセにルーレットやスロットマシーンを見ると夢中になる彼。
この日もご機嫌で楽しんでいた彼が突然言いました。
「オレ、やっぱり大学やめて日本へ帰るは。
そやからもうここに来るのも今日が最後やから心残りせーへんように遊ぶわ。」
そういえばここ数日これから将来の事への不安やアメリカ生活が
あまり好きじゃないということを言ってました。

彼「後期の授業料送金してもらったばっかりやから それで遊ぼ!」
私「えーっ!お父さんになんて言うの?」
彼からお父さんはとても怖い、雷おやじだと聞いていました。
子供の頃、勉強をしない彼の机を2階から外へ放り投げた
エピソードを思い出して関係のない私のほうが怖くなってきました。


やっぱりギャンブル運のない彼は半年分の授業料のほぼ大半を
リノの町に落としていきました。
当時、1ドル270-280円の時代で、
日本で何もせずに1年は暮らしていける金額でした。


彼が大学をやめる事は私の心に引っかかり、口では彼を咎めては
いたけれど本当はうれしさでいっぱいでした。
これからは会いたいときに会え、話したいときには時差を考えないで
電話ができる!
私にとって長い長い、遠距離恋愛は終わりました。




授業料の一部で買ってもらった指輪、お義父さん、ごめんなさい。

来年のバレンタインデーのためのアドバイス

Post-53今日はバレンタインデー、
この世で何人の人間が愛を告白したんでしょうか?
日本人男子留学生に彼女いる?って聞くとほとんどの男の子がいませんとの答え。
そして同じ質問を女の子にするとアメ人の彼いますって言うのがとっても多いです。
(アメリカ人のことを若い人たちは略してアメ人と呼びます。)

日本男子はなぜもてないか?
おせっかいおばさんはみんなに平等に彼女ができるようにアドバイスをしたいと思います。


まずはレデイーファーストを自然にしましょう。
アメリカでは幼稚園のときからスクールバスに乗るにも女の子が一番と
教えられて育つ国。
この習慣の積み重ねは大きく違ってきます。
女性はなんでもお先にと常に行動しましょう。
好きな女の子のみにレデイファーストはいけません。
アメリカ男子はおばあちゃんにもやさしいし、女性としてあつかっています。
女の子はこういった事、よく見ています。
2番目に男らしさをアピール。
アメリカでは重たい物を運んだり、力仕事は男の役割です。
空港でスーツケースが出てくるのを待っていると
アメリカ人女性は当たり前のようにウチの夫に
「そのスーツケースとって」とよく使われます。
(夫の職業はポーターではありません。)
ハワイでよく見かけるのは夫が何も持たずにスタスタと
先を歩き、スーツケースやバッグを妻が引きずりながら
後を追いかける姿多し。
アメリカ人女性から見ると非常に不愉快らしいです。
ひ弱な体の日本男子は日ごろから体を鍛えていつでも重いモノを
持てるようにしておきましょう。
3番目はちょっとしたときにさりげにお花をプレゼントできるように
練習しておききましょう。
キザと思うのは間違い。
一輪で結構です。金額にしたらごくわずかですが
女心がキュン。 :emojiheartsmall:
高級ブランドのジュエリーをプレゼントして
ふられる日本男子は女心をわかっていません。
そして最後におしゃべり好きな女の子の話をよく聞いてあげること。
アメ人男子は女の子の話を聞いている振りするのがうまい!!
多分日本男子と同じく聞いていないんだと思いますが
相槌が絶妙。
ポイントは彼女の目を見ながら頷き、時折へえーとかなるほどねと言う。

日本男子よ、これでもてないグループから抜け出そう! :emojiloveletter:



夫から貰ったバラ一輪で満足している私に
「バラの数って愛の量なんだよ。パパの愛って1本なんだー」ってイジワルな娘が言いました。

アメリカ移住物語(1)

28年前の3月、
初めての海外そして語学留学のためサンフランシスコにやって来ました。
どうしてサンフランシスコに行こうと決めたの?と聞かれますが
特別な思い入れがあったわけではありませんでした。
強いていえば実家のお手洗いの壁にアメリカの地図が貼ってあり
座った私の目線にサンフランシスコがいつもあったように思います。


楽しい学生生活が始まった頃、
ひとつ年下の男の子と知り合いました。
彼と一緒にいると弟と遊んでいるような気持ちで
気がつくといつもそばにいました。


3ヶ月のアメリカ生活はあっという間に過ぎ
私は日本へ帰ることになりました。

もう彼に会えないかもしれない、そして楽しかったサンフランシスコでの出来事を
思い出すと泣けて、泣けて帰国後してしばらくは毎朝、目が開けられないほどの
ヒドイ顔でした。

ファクスもインターネットもない時代、
毎日彼に手紙を書きました。
多いときには1日5通。
しまいには書くことがなくなり
「今週はアフガニスタンへ行ってきました。」
とウソを書く始末でした。(旧ソ連がアフガニスタンを侵入した年でした。)



彼+サンフランシスコ  このコンビネーションでいつも頭の中がいっぱいの私は
1.彼と結婚する。
2.そして女の子と男の子を産む。
3.サンフランシスコに住む。

これをマイドリームと心に決めたのでした。

サンフランシスコは春になりました

Post-51今日のタイトルは私が勝手に宣言しただけなのですが
ここ1-2週間前とは確実に気候が違ってきています。
朝晩は肌寒いですが日中はTシャツにヨットパーカーで充分です。
日差しの強さを見るともう寒い冬は終わったんだなあと感じます。
日本の4月初旬くらいの気候でしょうか?
(春に日本に帰ったのはだいぶ前なので確かではありなせんが。)


日本の皆さん、サンフランシスコに来られるんでしたら2月がお得ですよ!
飛行機もホテルもまだシーズンオフ料金です。
一足先に春の旅行はいかがですか?



春な出来事をもうひとつ。
とある日、スーパーで品定めをしているとお尻をパシッと叩かれました。
その瞬間 考えました。
誰かしら?
お尻を叩くなんてかなり親しくないとできないよね、と。
思い浮かぶ人はいません。夫もそんな事しません。お返しの飛び蹴りが怖いから。
振り向くと白人のおじいさん。
手には新聞、そして私の顔を見て「へッへッへッ」と笑ったんです。
そしてヨタヨタと歩きながら今度は中国人のおじさんのお尻を新聞でパシッ!
おじさんはこんな時、どんなリアクションすればいいの?っていう困った顔。
あっけにとられている私にタイ人の女性が言いました。
「大丈夫よ。あの人ボケているから。私もやられた事あるの。」
有名なのねあのおじいさんは。
と思うとなんだかおかしくてその女性と二人で大笑いしてしまいました。


春には変な人も出てくる季節です。
サンフランシスコにお越しの際はお尻にご用心。


スタンバイはコリゴリ 日本旅行記(最終その2)

毎日空港へ行って乗れるか、をトライしようと言う夫。
しかし、関空へ行くまでにけっこうな交通費がかかります。
確実はなくても確率の高い日を選んだほうが賢明だと思い、
数日延長することに。


ようやく空席がちらほら ありますという情報を得ていざ、関西空港へ。
この前に比べてチェックインカウンターに並んでいる人は少なく、すぐに私たちの番になりました。
カウンターのお姉さん「予約が入っておりません。」
私「えっ!スタンバイは予約が必要ないときいたのですが。」
娘がNWの社員だと説明するとそちらの方から予約変更をしてください、との事。
そんなこと聞いていない!!
説明不足の娘に怒りがわいてきた私。
しかしとりあえず娘に連絡しないことにはどうにもならないというわけで
15分千円の高ーい国際電話専用のテレフォンカードを買って
娘をたたき起こす。
娘は知らなかったらしい。(人の話を聞かないアホ)
しかも予約変更の電話番号はオフィスにあるらしく わからないと。
「どうにか探して今夜乗れるようにして!」
つい興奮して叫んだ私にまわりの人の視線が痛い。
こういう時、冷静な夫は娘の社員IDをきいてチェックインカウンターで
お願いしたほうがいいと言う。(たまにはいいことを言います。)
サンフランシスコにはしばらく帰れないんじゃないかと思いつつ
再び列に並びました。

しかし列の進み具合はゆっくりでカウンターで揉めてる人多し。
ほとんどが荷物の重量オーバー。
理由は国際線の1個当たりの重さが32kgから23kgに変更されたからです。
知らなくて当たり前。私も娘におしえられてなかったら32kgにパックしてました。
その差は9kg、スーツケースから超過分出してくださいといわれても
どこへも分散できません。
そういえば中国人は重量オーバーの場合、スーツケースに入っている
服を着られるだけ重ね着して飛行機に乗り込むらしい。(どんだけー)
ちなみに超過料金は32kgまで50ドルです。

またしても私たちの順番がまわってきました。
「コンピューターに予約入ってますよ。」
娘は私に叱られ恐れおののいたのか予約を入れてくれたみたいです。


電気系統の故障、修理で2時間近く出発が遅れたのですが
私と夫の名前がアナウンスされ乗れることが確実に。
やったーとばんざいしたい気持ち。
飛行機に乗れるのがこんなにスリルに満ちて、とってもうれしいのは初めて。

「タダより高いものはない」と昔の人は良いこと言ったものです。
まずは精神的には絶対よくありません。
このイライラ、ドキドキ感は心臓に悪いです。
これで世界一周旅行をしたら半周くらいでバタリといきそう。
乗れない場合は費用がかさみます。
実家があったので宿泊費のことは考えなくてよかったですが
これが知らない土地だとどんどんホテル代が出て行きます。
というわけで次回からはチケットを買い計画どうりに楽しめる
ストレスフリーな旅行に行ってみたいと思います。


 

スタンバイはコリゴリ  日本旅行記(最終)

Post-49日本から帰ってきてまだ1ヶ月も経っていないのに
インフルエンザの高熱のおかげでなんだか
遠ーい昔に行った日本旅行に感じます。
思い出して書こうと考えるのですが
自分の中では色あせています。

というわけで何かのおりに旅先々のことは書いてみたいと思います。
日本旅行の締めくくりと言うことでサンフランシスコへ予定どうりに
帰れなかったドタバタをちょっと。


実家が関西の二人(私は神戸、夫は京都)は帰りは関空からが希望だったので
他社エアラインで。(NWはサンフランシスコへの直行便は関空からはありません。)
この場合も支払うのはTaxのみ。一応ほとんどのエアラインが同じ条件で
利用できるみたいです。
スタンバイはゲートまで行かないと乗れるかどうかわからないので
あえて遅めに関空に着くと、
チェックインカウンターはあふれんばかりの人で
カウンター上のスクリーンには
”本日のサンフランシスコ行きフライトは30人のオーバーブッキング”
のテロップが繰り返し流れておりました。
聞くところによると前々日のフライトがキャンセルになって
しかもここ数日満席状態が続いているためらしいです。
私「スタンバイは無理でしょうか?」
とってもにこやかなマネージャーらしき女性「厳しいですね。」
決してダメとは言わないのが私たちのあきらめるという決断のさまたげに。
夫はとりあえず、並んでチェックインしようと言う。
しかし、一向に列は進まず、出発時刻の30分を切り、
ようやく私たちの番になりました。
 いきなり夫が
「ぶっちゃけた話、乗れるか乗れへんのか正直に言ってもらって結構です。」と。
夫と同年代の職員「そうゆーてもろたら助かります。今現在、コンピュータでは
5席空いてます。」
とカウンターの左右を見渡すとまだ他のカウンターには10人近くの人が。
「それにね、ウチの社員がスタンバイで7人待ってます。他社航空会社ですので
その次ということで。」
ここで完全に無理だねーと悟った私たちは
「じゃあ、あきらめます。ところで明日とかはどうでしょうか?」
「ここ数日むずかしいですね。」
「それでは忘れたころにやってきます。」
職員の方は笑いながら
「ご理解とご協力ありがとうございます。乗れないってはっきりゆーたら
ブチ切れる人いるんですわー。」
私「社員なのに!スタンバイって理解していないんですか?」
「そーなんですよ。自分たちがタダで乗せてもらっていること
解かっていない人がいるんですわ。」
あきらめのよい私たちに頭を深ぶかと下げてお送りくださいました。
朝からスーツケースをパッキングしてバタバタとした今日一日は
何だったんでしょうと思いつつ実家へ。
つづく.....

2008年は当たり年!

Post-48すっかりご無沙汰しておりました。
18年ぶりに39度の熱が5日間つづき
体力に自信のある私もさすが熱には勝てず、ヘロヘロになり
お医者さんへ行きました。
インフルエンザでした。
初日とかに来ればもっと早く楽に治ったのに。と言われました。

娘がその数日前に38度の熱を出し、2日で治ったので
てっきり風邪だと思ったのです。
その上、昨年11月に予防注射もしたし、
インフルエンザだなんて全然考えもしていませんでした。


ドクターが「とっても楽になる薬」を処方してくれて見ると
昨年から日本で問題のこの薬。
幻覚症状とかでないかと心配していましたがそれはティーンエイジャーだけらしい。
それよりもすぐに熱は下がるは鼻づまりはなくなるは腰の痛いのも楽になるはで
すごくよく効いてます。
明日から仕事せねば。久しぶりのシャバは冷たい雨がシトシト。


2008年まだひと月しかたっていないのに車はぶつけられるは
インフルエンザになるはで今年って当たり年?