メキシコ エンセナダ2

Post-80お昼過ぎにダウンタウンに戻ってきた私たちは
まずはランチ。

右奥に見える黄色い建物は人気のレストランアンドバーの PAPAS&BEER。
若い人たちでいっぱい。「しゃべってる声が聞こえへんとこでは食事はできん。」
と夫が言うのでパス。BGMも大きいのですが
若いモンが酔って叫んでいるのもすごくうるさい。







呼び込みの人に誘われて入ったレストラン。正解でした。
野菜たっぷり、薄味おいしゅうございました。
夫も大好きなフィッシュタコに大満足。










夫の同僚が友人の宝石屋があるので是非寄っていくようにと勧められましたが
全然興味がありません。
私の興味があるのはスーパーマーケット。
どこの国へ行っても必ずのぞきます。
さて、エンセナダの物価は?

ステーキ肉58.84ペソ 約6ドル47セント









日本ブランドのカップラーメン3.76ペソ 約41セント


思ったほど安くありません。
ウォルマートがあると聞きつけてタクシーを飛ばして行ってみました。
コストコ、ホームデポなど大型店が並びアメリカ郊外にある風景と一緒。
品揃えも値段もアメリカとほぼ変わらず、来て損した感じ。
アメリカでは売っていないことを願いつつ買った品々。










夫がこれは絶対お買い得と言ったテキーラ。メキシコでは15ドルくらいですが
アメリカでは60ドルくらいになる高級酒らしいです。









サボテンのとげははウォルマートのおねえさんが取ってパックしています。
食べれなかったサボテンに後ろ髪を引かれながら船に戻りました。

メキシコ エンセナダ

Post-79船の揺れも感じずぐっすり眠れた一日目。
6時に目が覚めるともうメキシコ、エンセナダの港に着いていました。
初めてのメキシコの印象は「さぶっ!!」でした。
キラキラかがやく太陽にカラカラ乾いた空気を想像していたのに。
どんより曇ってこの日は18度でした。
せっかくこの日のために用意した夏服は置いといて
サンフランシスコスタイルの冬服を着て下船しました。

まずは港からシャトルバスに乗ってダウンタウンへ。
朝早かったので閑散としていました。ここでオプショナルツアーを
勧められ申し込むことに。
船の中でもいろいろなツアーを販売していましたが
ダウンタウンの観光案内所のほうがずいぶんとお安いです。




田舎道をガタゴトとミニバスにゆられ30分、名もない浜辺。(ウソです、
知りません。ごめんなさい。)向こうにみえるのはバンダ半島。






ここ唯一の見せ場潮吹き岩






岩だけではおもしろくないというわけでお店もずらり。






バッグや飾り物のお店に混じって薬屋さんもたくさん。
ここでは処方箋の必要な薬がバンドエイドを買うように簡単に買えるんです。
抗生物質、抗うつ剤、そしてバイアグ0も。






ロバくんも商売のためならシマウマにだってなります。


このツアーは所要時間3時間半で一人15ドルでした。

ロングビーチから出港

Post-78ロスアンジェルスから南へ約30Kmにあるロングビーチ港。
初めてのクルーズ旅行にでかけます。
クルーズ=豪華客船=お金持ちの旅行とずっと思っていました。
けれどこの冬にクルーズでメキシコを訪れた友人の話で
イメージが変わりました。すごく安い!
しかし、『安いものはパチもん。』と関西風ビジネス哲学で
育った私はちょっと不安。
しかも船は乗ってしまうと気に入らないからキャンセルしたくても
降りられません。
そこでもし想像以上にひどくても耐えられる一番短い日程を選びました。

ロングビーチ(金)               5:30pm出港
メキシコ (土)     8:00am到着  4:00pm出港
海上  (日)      丸一日海の上
ロングビーチ(月)    8:00am到着

これなら正味2日間の船旅 というわけで行ってみましょう。




まずはバゲージのチェックイン。飛行機と同様、別に運ばれます。
乗客は2700人、間違えないで部屋まで荷物はやってくるかしら?






人間はここでパスポート持参でチェックイン。コンピューターでプリチェックイン
できるようになったのでスムーズにあまり待たされなかったのですが
一昔前はチェックインに半日費やしたとか。







船のロビー。さっそくトロピカルなカクテルなんか飲んで気分はリゾート。








部屋はすごく狭い!
料金はデッキのレベルによって違います。上の階へいくほど高くなります。
スイートルームはこれの3倍ちかく広いのですがあいにくハネムーンの人たちで
満室でした。意外とお安いので空いてる日にすればよかったと後悔。






部屋に入ると「避難訓練を行ってください。」とのアナウンス。
夫「オレ、ちょっと行ってくるわ。」と部屋に備え付けのベスト式浮き輪を
持っておでかけしました。
私はベッドでごろごろ。
するとドアをノックする音が。
「避難訓練に参加しなさい!!」クルーが半分怒って言いました。
あわてて頭からベストをかぶってデッキに出ると乗客全員が整列していました。
みんな一斉に私に注目。恥かしい。 :emojiface_coldsweat2:
きっと娘に「やっぱりママは団体行動ができない人。」と言われるでしょう。
しょげてる私に
「オレちゃんと訓練うけたもーん。」と鼻の穴をふくらませて得意げになっている夫。
呼びにきてくれてもいいんじゃない? :emojiface_angry:
冷たい夫には後ほどお返ししましょう。




何はともあれ無事船に乗れました。
定刻どおり汽笛とともに出航。














    

まずはロスアンジェルスへ

Post-77最初の目的地はロスアンジェルス。
サンフランシスコからベイブリッジをわたり
オークランド580号線を東へそして
セントラルバレーから5号線にのります。
このまままっすぐ南へドライブすると
いやでもロスアンジェルスに着きます。


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こんなトラックが走るのがチラホラ見え出すと車での
長旅が始まったんだなあと感じます。


朝の3時に出発したので渋滞なしでスイスイと。
しかしL.Aの手前、バーバンクに来るとすごい車の数、
市内に近づくほどひどくなってきました。
空気もすごく悪い。 :emojiface_sad:
ハリウッドまで行くのに2時間もかかりました。
(混んでいないと30分くらいらしいです。)





さすが映画の都、ハリウッドハイスクールの校舎はおしゃれ。


私「どこか行きたいところある?」
夫『別に。今日は子供らもおらへんし遊園地やテーマパーク行ってもしゃーないし。」
ハリウッドのお目当てのお店に行けばすっかり商売替え。
他に行くところなしで
長旅で疲れた中年夫婦はアテもないL.A.観光はパスして
ゆっくりしたくてロングビーチへと向かいます。

行ってきます。

Post-75思い立ったら吉日というか突然ですが
夫と小旅行に行ってきます。
ホントは結婚25周年にイタリアに行くのが夢だったんです。
しかし、バカ息子の授業料、使い込みが発覚したり
夫がバケーションを長く取るのが無理な季節になったりと
私のイタリア行きを拒む邪悪なモノがまわりにウジャウジャおります。
というわけでチマチマと28年前の青春時代を思い出しながら
久しぶりに夫婦水入らずで過ごします。
それでは帰って参りましたら珍道中をご報告いたします。(なんか事務的。)

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夫は『遊ぶ』となるとすごくテンション上がって24時間戦えます。
明日の出発、朝の3時ですって。 :emojiface_sad:

アメリカ移住物語(8)

長い夏休みが終わり子供たちはほとんど英語もわからないのに
楽しく学校へ通いだしました。
夫はアパートと小さなショッピングセンターの管理で
行ったり来たりの忙しい毎日を送っていました。
私といえば朝の家事を終えたあと、アパートのテナントからの
修理のリクエストを聞いたり家賃を集めたりでこれまた
大忙しの日々でした。


私専用の車を買いました。当時、流行っていたDodge のミニバン。
日本では見たことがなかった広々とした7人乗りの車。
子供たちのお友達も乗せて学校の送り迎えをしました。
まさにアメリカ的なママの生活でした。


毎週末はビーチで1日を過ごすのが当たり前になっていました。
子供たちはどんどん真っ黒になり
英語はしゃべれないけれどここで生まれ育ったローカルの
子供の風貌になっていました。


そんな楽しく忙しい日々を送っていたある日、
夫がとても暗く悲しい顔で帰ってきました。
『ボクたちが管理している全ての不動産のオーナーである日本企業が撤退する。』
すでに日本ではじけていたバブルの波はゆっくりと
海を渡ってハワイまでやってきたのでした。

Ash=お骨

Post-73ナナのお骨が帰ってきました。
日本ではお骨、遺骨などと言われましてその名のとおりの
形をしております。
英語ではなぜBoneじゃなくてAsh=灰というのか理解しました。
骨が灰のように粉々なんです。
夫曰く『日本海の浜辺の砂みたい。』
火葬にした後、砕くんでしょうか?わかりません。
人間も同じらしいです。



ちなみにペットの火葬は個人とその他一緒というのがあって
プライベートでしてもらう場合は体重や大きさによって
違いますがナナは185ドル(ケース付き)でした。

聖火到着

Post-72今朝、サンフランシスコに北京オリンピックの聖火が到着しました。
ロンドン、パリでの妨害があっただけに厳戒態勢を敷いて
どこを走るのか未だよくわかりません。
おまわりさんも2000人以上出動しているらしいです。
しかし、早朝からダウンタウンでは
抗議集会やデモ行進などで盛り上がっています。


夫からの電話「2ちゃんねるに出るかもしれへん。」
2ちゃんねるってあの好き勝手言ってるネットの2ちゃんねる??
夫「ニュース番組の取材やってん。コメントしたからテレビに出るかもね。」
よく聞けばローカルテレビの2チャンネルがサンフランシスコで行われる
聖火リレーについて観光客の反応は?というようなことを聞きたくて
オフィスに取材にやって来たらしい。

「行けるものなら行ってみたい北京オリンピック。」
とだけ夫のコメントがテレビに流れました。
これって何にも考えないお気軽中国人のおっちゃんのコメントに見える!! :emojiface_gesso:
本人に問いただしてみるともっといろいろな質問をされたらいしですが
『行ってみたい?』と聞かれて
答えたこの部分だけが使われたらしいです。
しかしねぇ、これだけ世界中の人々が中国を批判し、
ネガティブな聖火リレーを見たことがないのに
よくも行ってみたいだなんて言えたもんですね。
夫よ、明日は石でも投げられないように気をつけてね。

ナナ

Post-71ゴールデンゲートパークに散歩に来る犬の中でとびきりの美人だったナナ。
苦しみと痛みから解放されました。
この世で永遠に一緒に遊ぶことはできない悲しみはありますが
もう痛々しい姿を見なくていいことにホットしているのが
今の正直な気持ちです。
励ましていただいた方々、ほんとにありがとうございました。
ブログを書いていて なによりもうれしかったです。


春は別れの季節、そして新たな始まりの季節でもあります。
いろいろな思いを胸に生きていきます。

アメリカ移住物語(7)

マウイ島の南に位置するキヘイという町が
私たちの住む場所となりました。
強い風、赤土だらけの砂漠のようなところ。
一昔前は『タダでもいらない』と言われたキヘイの土地でした。
ここからさらに東へつづくマケナへとアメリカ人好みの
ホテル、コンドミニアムの建設が進められ新たな
リゾート地が出来上がろうとする時期でした。
建設現場を行きかうダンプカー、舗装されていないでこぼこ道、
そして道ばたの雑草をながめていると
日本の高度成長期だった子供の頃に
タイムスリップしたなつかしさを感じました。


夫の仕事はアパート、商業ビルの管理をすること。
私たち家族はそのアパートの一室に住むことになりました。
アパートといってもプール,バーベキュー施設付き、そして道路を渡ればビーチ。
『毎日、リゾート気分で暮らせる』
なんだか日本にいる友達に自慢したい気分でした。


日本から船にゆられてやって来た家財道具すべては
無事カフルイ港に着きました。
税関員立会いのもとにコンテイナーは開けられました。
価値の高いものはいくらすでに使って中古品であれ
関税がかけられます。
税関員がコンティナーの中に入りズルズルと何かを
引きずる音が聞こえました。
税関員「この長い棒は一体何に使うものですか?」
私『洗濯物を干すものです。」
こんなものまではるばる日本から持ってきたのかと
一同大笑い。
日本の生活で使っていたもの全てを持ってきました。
おまけに母がコンティナーに余裕があることを知ると
実家の物置から餅つき機、お客様用座布団20枚など
この際、粗大ゴミ処分とばかりに引越し荷物に紛れ込ませていました。
残念ながら関税がかかるようなたいしたものは全くありませんでした。


部屋に荷物が収まり落ち着いた生活が本格的に始まりました。